デパスは戻してもらったのだが、苦しんでる時に処方してもらったエビリファイが厄介だった。鬱と統合失調症に聞くらしい薬なのだが、この薬がアニメ、ゲーム、インターネットで楽しんでたのが楽しく感じなくなる状態にさせていた。追加として塩味の味覚がしない。処方は止めた。
2015年1月まで色々と興味が行かず楽しめない状態でした。お薬手帳大事。
なんか、風呂入ってたら微妙なもんを思い出した。バイトの子が言う愚痴にポジティブなこと言ってたら、私のことなんてわかるわけないですよー、とか言われたのを思い出したら、昔に友人の悩みに適当なフォローを言ってたら、わかるわけないやろ的なことを言われたことまで思い出した。後者は適当なフォローだけあって、わかるわかる的なことを言った覚えがある。一応前者は「いやな気分よ、さようなら」的なポジティブフォロー。
なんかテレビで悩みに同意してほしいのであって、解決法を聞きたいわけではないといったことを聞いたことがある。カーネギー著の人を動かす 新装版 の最初の方も一緒に思い出しながら、人より不幸だと思ってる人に悩みの解決法を教えようとしても、自らが良い方向にもっていこうと思わないと、あんまり意味がないという考えに結びついた。
前ブログのはてなダイアリーで、自分が感動した自己啓発本で得たことを、人に教えたい的な欲求はあったが、まぁあんまり意味ないかなーと、風呂でボーっとそんなこと考えてた。
リンク: 抑うつ度チェック - ベックのうつ病調査表 (BDI テスト)− げんのうつ病 闘病記 [ うつ病闘病記 うつ病チェック 抑うつ状態 症状 治療方法 接し方 うつ病の処方薬 通院医療費公費負担 32条 精神障害者手帳 障害年金 ].
毎週うつ度チェックをしてたりする。今日は4点と好調。何故チェックしてるかというと、前回記事に書いた〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法で、毎週やって回復度合い見といたほうがいいよ、見たいなことが書かれてたというのもあるが、単に日常が少し暇だからというのが大きい。
今回、そのうつ病調査表と同等のサイトを紹介してみる。
便が今日は気持ちよく3回も出た。バイト前1回、仕事前半1回、仕事後半1回。特に3回目が気持ちよく出たのは素晴らしい。過敏性腸の類なのか、3回目の便はおならで処理されるか、便が出ても小さいのが出るくらいとあまりいい思いがない。
結論からすれば、便意が来たらお早めにってことだろうか。
最近ずっと、風呂で本読んでます。暇だからです。疲れて風呂で読む気が起こらないこともあるけど、大抵読んでます。〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法って本です。
まぁ最初のページの方にある、うつ病チェックみたいなんで計ると、最初は治療の必要ない軽度のうつ症状だったんで、うつってほどじゃないです。この本読んで再度チェックすると、正常範囲の落ち込みまで行きました。
何でこんな本読んでるかっていうと、今まで自信や不安に関する本を漁って読みまくってたからです。たぶんそれらの本で、軽度まで行ったのかなって事考えると、今までの本もそれなりに素晴らしかったってことっすね。
けどこの本は素晴らしいっす。読み漁ってたといっても、似たような感じになってきたんで、最近の自己啓発本は新発見的な面白みがなかったんだけど、これは素晴らしいっす。
1つは実習がためになります。今までの本は言葉を復唱して深層心理に働きかけるアサーションだの、日常に心がけることが書かれていても、いざ実際なんかなぁーって感じになってしまうのです。最近まで引きこもってたから実習ができなかったんですよね。今はフリーターっすけど。けどこの本で語ってることは、思考が悪い感情や悪い行動に発展するってな感じの説を言ってます。だから、自分の不安なことや怖いことをノートに書いて、この本に書いてあるいくつかの歪みに照らし合わせて、自分でその場で合理的な考えを書いていき治していくってなスタンスです。だから過去のいやなことでも、今のことでも未来のことでも対処できます。
後はー、歪みの分類わけとかの説明は最初の方にやってるから、後はためになることばかり書いてます。たまに自己啓発になるかなーって読んでみたら、説明で大半だったって本もありますから、これはためになります。といってもまだ半分しか読んでないんで、折り返しでどうなるかわかんないっすけど。
3番目の理由はページ数が辞書くらいあるってことっすか。だから、風呂でコツコツ読んでるってな感じになってます。けど読みまくりには時々しんどいので、神様家族っていうライトノベルで生き抜きもしてます。
まぁ既に100%だったけど、コーヒー飲むとガスタイプの腹痛、すなわち過敏性腸症候群みたいな、あるいはそのものの症状になる。ここ2ヶ月コーヒー飲まず、昨日今日飲んで、昨日今日共に調子悪い。これ飲むと飲まないとじゃ天と地との差がある。
自閉する若者…『下流社会』の行方は - 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051222/mng_____tokuho__000.shtml
ニートやらフリーターやらは私の考え的には範囲に入らないのだけれども、延長線上としては考えはある。まぁリンク先を見ずにまずはその考えから。
まぁ、まずは前の世代の考え方が時間差で影響しているってのは1つの考えだけれども、今では自我がある若者なので、現状においては今どうこうしても現状がどうにかなるわけではない。今後。
2番手くらいには、幼い時に大きな夢はかなわない等言われてるってことか。幼いからこそ、頼る存在にそう言われると従ってしまいそうだ。1番目の夢が無理なら2番目とか3番目のまともなものを選べと言われ続ければ、意欲も無くなる。
これと似たようなモノでWikipediaのNEET(http://ja.wikipedia.org/wiki/NEET)の項目には、高学歴な者も一部いるという事から、目標が夢ではなく学業になってしまったという事も考えられる。
世の中が豊かになったから、夢をかなえる必要が無くなったとも言えるが、もっと幼い子さえ夢は持っている。ただ、成長過程で子供のなりたいものではなく、親がならせたいものを学ばせて、いざ親がならせたいものがかなわなくなると、自分の夢がわからなくなるとか。その過程で、親のならせたいもの=自分がなりたいものと錯覚してしまう。
多少成長すれば、今度は学業で偉くなってからと言われる。その間、テレビでは夢のかなった人間がいっぱい出るが、周囲では不景気だのあれは天性だのと会話され不安がつのる。
で、さらに成長すれば、そんな夢みたいなことはかなわないと言われる。そして最悪の場合、この成長過程の今までの不安な情報を、自分自身の頭に入っていて、自分自身もかなわないと信じてしまう。
で、今回はリンク先をちょろっと最初だけ見てみて、ニートやフリーターからこんな自分の話題から切り出してみた。リンク先を見てからだと、批判テイストになりそうだったというのもある。社会と個人の心理みたいというのは相反するような感じなのもある。批判と言うのは別に悪いことでもないのかもしれないが、個人的に自分の正しいと思う意思を相手に押し付けるような気がするからって考えがあるから。まぁ結局、比べるような批判テイストになるんだけれども。
好きなことを仕事にしなさいの相反する意見として得意なものをしなさいってのがあるけれども、たしかに社会を基準とするならば生産的で効率が良い。ただ個人的に見るならば難しい。金が入ればとか余生になればとか、そういう考えだと夢はかなわないし、現状と大して変わらない様な気もする。金持ちが目的なのか、金は少なけれども生活できて夢であれば。
フリーターが娯楽要素も手に入れれるし、のような考えもあるが、時間や金銭的な要素から、学業で遅れてしまった将来性とのプロセスにいるとも言える。ただ、だからフリーターが増えるとも言えるが・・・。フリーターの意思のある考えに、間違ってると指摘し介入するとなると、社会が正義だと言わんばかりのニュアンスに聞こえる。社会があるから個人があるとも言えるが、個人があるから社会があるともいえる。うーむ社会思想と個人思想とはやっぱり合わない。
話しがこんがらがってきたのでまとめに入ると、なんていうかモグラ叩きをしているような気分になってくる。今のフリーターやら異質な犯罪やら。モグラ叩きだと、個人的な考えで伝わりづらいのでわかりやすく言うと、ゴキブリの巣を見つけずして出てくるゴキブリにだけ対処するみたいな感じか。この例えは失礼で汚い表現になってしまったが、わかりやすいと思う。
表面上出てきたフリーターやら、犯罪者などを対処している状態で、根本的なところが変わっていなければ、ただその対処を大きくしていくだけだと思う。もちろん現状のケアも必要だが。
要するに心理と言えるような気がする。大学やらを卒業する時点では学業やら手段ばかりが誇示されて、目標を見出せないというか。
最近の自己啓発書。特にバイトやら干渉が激しい時とかに自己啓発書を読むタイミングが訪れる。
昔は何か対立する何かを言われた時は、自分なりの意見を持っていようとムカつきながら言われるまま黙ったり、理解したような気分になったようなものだが、最近では比較的肯定向きではある。
たんだ(ただ)、自己啓発書を読みそれを重視するあまり、相手を否定する事はないが、勿論自分を否定する事はない。
ハロウィン電車の記事の時、うーん、勿論相手の言ってる迷惑に関してもわかっているのだが、私なりには自己啓発書を読むにつれ、礼儀やルールで秩序だってる分、日本は、どう言えばいいニュアンスだろうか。自殺者数が多いとか、型を求めると言うか。結果的には、隣の国の芝は青く見えるのかもしれないが、日本が抑制的に見えるという。迷惑はわかるが、迷惑性の意見をピックアップして、というよりはそうなったと言うような。
今回の心理の話しはハロウィンではなく、私が意見の異なった人物と論議になった場合、「相手も認める、自分も認める、自分はこういう考えを持ってる人間、相手はこういう考えを持ってる人間」という部分である。一見アサーティブ。けど何か違う。その何かが引っかかって。
結局自己啓発書になってるが、「ハッピーな人々の秘密」を読んで、攻撃はしてないがこれは防衛であると。
微妙につかみづらいニュアンス。ステップ的に表すと、
んー考えすぎだろうか。けどきつい気分もするんだなぁ。
さてはてこれは小学3年から5年辺りにに入ってくる言葉・定義。3種か4種。
こんくらいか。
まず、自分が広く出せるか出せないか。自分の日常やマイナーなものがつまらないものと思ったり、些細な欠点が気になるかそんな辺りが1つ。出せればその人がわかるし、出せなければ仕事人間や真面目っぽく見られる。たぶんこの要素が大きいか。
ただ、日常会話ができるがってのもあるが、仕事・公衆では必ずしもそれだけでは難しいのがある。当たり障りのない会話、入りの言葉みたいなものである。
会話のタイプはいくつかレベルがあるのではなかろうか。
まずは共通の話題がある場合。PSOで見知らぬ人と会話ができやすいのは、共通の話題が基盤になっているからと言える。アドバンス的には身近な人の会話がこれに当たる。何のカテゴリーまでを話せるかがわかるから。
次辺りに礼儀・順序会話。要するに決まってる言葉を話せばいいって感じのものである。逆に身近な会話が苦手な人はこっちの方がやりやすそうであるが、身近にはならない。
最後が手探りの会話、最初からの会話と言われるもの。セールスは型もあるから2.5といった辺りか。身近なものでは、仕事柄ではない場で、新規の人と話す場合。社交の場も含まれる。何か話をしたいという意思表示をするか、一時的だから面倒だっていうので大きく変わる。
戻って明るさ暗さの考察。
ネガティブ志向かポジティブ志向か、これもある。何故ネガティブやポジティブに変動するのかってことを考えれば、不確定要素に対してどう考えるかであろうか。不確定だからどうとでも取れる。そこをポジティブかネガティブか。手出しできなく、今に直接触れてない過去や未来の考え方にしてもそうである。
後は批判辺りか。批判は暗いというレベルの深いところではないが、批判と言うものは当人に向かって言えない不満を他人に話すってのが定義か。勿論、他人に言っても解決はしない。まぁ進展しないという意味では、妄想・現実逃避と近い。
まぁ明るさという定義は、自分をいかに自分自身が応援・肯定できるかってのがあたるのではなかろうか。暗いというのは逆に自分が自分自身を否定しているようなイメージが取れる。自分を否定していると、他人から見れば自分がどこにでもいるような人間に取れてしまう。自分を肯定していれば、他人にとっては自分は別の内容を持ってるから興味がわく辺りか。
明るさ、というより自己啓発本では「自分自身を大事にしなさい。自分に親切にできれば、他人にも親切になれる。」と書いてある。でも一歩間違えると、この内容は自己中心的にも取れる。自己中心的なものとのちょっとした違いは、自分を大切にしているが、自分を大切にするために他人を操作・攻撃するかの違いだと思う。
なんか、また似たような日記を書いてしまった様な気もする。元は、求人情報誌見てて、「明るい人・元気な人・接客大好きな人歓迎!」みたいなものを読んでて、これは魔除けかなんかの威力があるワードだなーと思いつつ、今回の明るさ暗さの定義に飛躍。
暇とは何か。まず社会的にやらなくてはならない事がない。会社とか学業関連。自分がやりたくはないがやらないといけないと思うものがない。掃除とか整理。自分のやりたい事がない。望みとか何か。
けど、忙しい時には時間さえあれば夢を追いたいとか思っても、いざ暇になると、どーでもいい事で時間を潰してしまうという。まぁ不安な事があれば、プラスアルファ時間を潰してしまうかもしれない。ふとそんなことを考えた。
朝起きた時から、腹が空腹のような、けど腹を下してない腹痛を久しぶりに感じた。便でもない空腹でもない、ガスか?っていう痛み。昔は、仕事を辞めた引き篭もり中でさえ、日常的にこういうのはあった。けど、久しぶりとは何か?
何か昔からインスタントコーヒーを暇あれば、それで代用するような飲み方をしていて、朝・昼・夜という感じで最大3回飲む事があったのだが、それが原因ではないか?という少しの考えを持つようになっていて、最近までコーヒーを控えてたのだが、昨日は昼と夜10時半に飲んだ。後特殊と言えば、ハバネロが深夜2時。で、睡眠が深夜4時、朝10時半起床。
または別の考え方として、今まで深夜2時に腹が減るので、インスタントラーメンなどを食っていたのだが、そこをハバネロに変えた事もあるのかもしれない。
まぁわかりづらい事ではあるので、腹痛い時のデータを記録するくらいしかないのだが。
んーむ、書いていた日記を勤務地調べるために、Google ローカルで消してもうた。大したモノではないけれど。ということで、はてなアイデアのidea:5105に10株投資。
確か自分のこだわりだっけか。
そう、多分この4つか。で、どういう展開になったんだっけか。
とか考えながら、スカイダイビングはどうなのか、という話しになって、金も大事だとか色々考察というより、タウンワーク今週と先週のを往復して、お菓子製造のアルバイト応募に電話を掛けたと。そしてGoogle ローカル。んな感じか。
そんな中、自己啓発はある程度手前まで回復させるが、それに対する自信は実践である、みたいな事を考えてー。多分こんな感じ。
私は絵を描きたいのだろうか?と自問することがある。勿論嫌いではない。絵に関する憧れはあった。
まず、中学に少し本格的に人キャラを描いてから、今まで描いてはいなかった。ブランク。青春が不安を消すことが青春みたいなノリだったから、進路・就職同様、そういうことは頭になかったのかもしれない。
大抵また絵に関して言い出したのは、働いてるときか。親や友達、退職後は面接官にまで言っていたような気がする。周りには喋りで上手くなりたい止まりで、実際は口で止めている。
自ら描きたい理由に自問するのに、何か絵に執着がある。というかそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。
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