自閉する若者…『下流社会』の行方は - 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051222/mng_____tokuho__000.shtml
ニートやらフリーターやらは私の考え的には範囲に入らないのだけれども、延長線上としては考えはある。まぁリンク先を見ずにまずはその考えから。
まぁ、まずは前の世代の考え方が時間差で影響しているってのは1つの考えだけれども、今では自我がある若者なので、現状においては今どうこうしても現状がどうにかなるわけではない。今後。
2番手くらいには、幼い時に大きな夢はかなわない等言われてるってことか。幼いからこそ、頼る存在にそう言われると従ってしまいそうだ。1番目の夢が無理なら2番目とか3番目のまともなものを選べと言われ続ければ、意欲も無くなる。
これと似たようなモノでWikipediaのNEET(http://ja.wikipedia.org/wiki/NEET)の項目には、高学歴な者も一部いるという事から、目標が夢ではなく学業になってしまったという事も考えられる。
世の中が豊かになったから、夢をかなえる必要が無くなったとも言えるが、もっと幼い子さえ夢は持っている。ただ、成長過程で子供のなりたいものではなく、親がならせたいものを学ばせて、いざ親がならせたいものがかなわなくなると、自分の夢がわからなくなるとか。その過程で、親のならせたいもの=自分がなりたいものと錯覚してしまう。
多少成長すれば、今度は学業で偉くなってからと言われる。その間、テレビでは夢のかなった人間がいっぱい出るが、周囲では不景気だのあれは天性だのと会話され不安がつのる。
で、さらに成長すれば、そんな夢みたいなことはかなわないと言われる。そして最悪の場合、この成長過程の今までの不安な情報を、自分自身の頭に入っていて、自分自身もかなわないと信じてしまう。
で、今回はリンク先をちょろっと最初だけ見てみて、ニートやフリーターからこんな自分の話題から切り出してみた。リンク先を見てからだと、批判テイストになりそうだったというのもある。社会と個人の心理みたいというのは相反するような感じなのもある。批判と言うのは別に悪いことでもないのかもしれないが、個人的に自分の正しいと思う意思を相手に押し付けるような気がするからって考えがあるから。まぁ結局、比べるような批判テイストになるんだけれども。
好きなことを仕事にしなさいの相反する意見として得意なものをしなさいってのがあるけれども、たしかに社会を基準とするならば生産的で効率が良い。ただ個人的に見るならば難しい。金が入ればとか余生になればとか、そういう考えだと夢はかなわないし、現状と大して変わらない様な気もする。金持ちが目的なのか、金は少なけれども生活できて夢であれば。
フリーターが娯楽要素も手に入れれるし、のような考えもあるが、時間や金銭的な要素から、学業で遅れてしまった将来性とのプロセスにいるとも言える。ただ、だからフリーターが増えるとも言えるが・・・。フリーターの意思のある考えに、間違ってると指摘し介入するとなると、社会が正義だと言わんばかりのニュアンスに聞こえる。社会があるから個人があるとも言えるが、個人があるから社会があるともいえる。うーむ社会思想と個人思想とはやっぱり合わない。
話しがこんがらがってきたのでまとめに入ると、なんていうかモグラ叩きをしているような気分になってくる。今のフリーターやら異質な犯罪やら。モグラ叩きだと、個人的な考えで伝わりづらいのでわかりやすく言うと、ゴキブリの巣を見つけずして出てくるゴキブリにだけ対処するみたいな感じか。この例えは失礼で汚い表現になってしまったが、わかりやすいと思う。
表面上出てきたフリーターやら、犯罪者などを対処している状態で、根本的なところが変わっていなければ、ただその対処を大きくしていくだけだと思う。もちろん現状のケアも必要だが。
要するに心理と言えるような気がする。大学やらを卒業する時点では学業やら手段ばかりが誇示されて、目標を見出せないというか。